2019年8月31日土曜日

Term 2(二学期)

さて、二学期です。

キャンパスの様子(2月)

同じく、二つの必須科目と、一つの選択科目という構成でした。

他にも、一学期で触れるのを忘れてしまってたけど、
CELTという学習サポートのようなクラス
(主に英語が母国語でない留学生が
 大学院レベルの言語使用に慣れるための授業、というようなイメージ)や、


二学期からは
隔週で?セミナーという名の補講のようなものがあったけど、割愛します。
(実質、このセミナーは全然なんの役にも立たない上、
授業を行う講師とセミナーを設定している教授との間で連携が取れておらず、
演習問題の回答が存在しないとかいうお粗末な内容だった。)


必須科目の一つ目は、
一学期のResearch Methodに続く内容で、三学期まで続く
Planning and Communicating Researchという授業。
引き続き、どんな調査方法があるかなどを学びました。


必須科目の二つ目は、
Teaching and Learning Citizenship and Global Educationという授業で、
現代のシティズンシップ教育(主に欧米圏)についての
問題点や課題を学んだ授業でした。

一学期は、シティズンシップ教育の歴史とか考え方とかを学んできて
いろんな見方があって面白いと思った(り憤慨したりした)けど、
二学期の授業は、
前回の授業に引き続きこの授業を担当したシティズンシップ教育専門の先生が
授業内でただただ自分の講演をしているような感じで、
なおかつ、学生に意見を言わせても
一学期の時以上に、それが議論にならない一方通行なコメントに終わるような状況で、
ヨーロピアンのクラスメイトもわたしも、みんなでひどく幻滅した授業でした。
(だいぶ有名な先生のはずなんだけど、ごめんなさい。)


選択科目は、
Higher Education in the Twenty-first Centuryという授業で、
21世紀における高等教育機関についてを学ぶ授業でした。

留学前に書いた記事「27歳、大学院生になります!」にあるように、
わたしは大学の役割についてを研究したいと当初思っていたので、
この授業をとても楽しみにしていました。

担当教員は2名いて、全10回のうち、
後半3回にわたしが話を聞きたいと思っていた先生の授業の予定になっていました。


・・・そう、その予定、でした。


しかし、二学期開始2週目くらいから、

イギリスの大学教員たちが
雇い元である大学に対して全国的にストライキを起こすということになり

(確か、管理職たちが給料もらいすぎで、教員は十分でないとか、そんな理由だった?
 あと、将来の年金額が減るとか、そんなことだったような・・・)



二学期の半分くらいが、キャンセルになりました。



学生の中には、先生たちの権利が大事だって言って、
プラカードとか作ってストライキを支持してたけど、

いやいや、EU圏外から来ている留学生は、
EU圏内の学生に比べて二倍の学費払ってるんだし、
生活費とか渡航費とか考えればもっと金かかってるんだから、



まじで学費返せよ。って思ってました。


まじGrumpy(不機嫌)だぜ!

どっかの大学は返金あったみたいだけど、
ヨークは署名活動に参加したりしても、返金一切ありませんでした♡

申し訳程度に、全学生には恩恵が行き渡らない、
卒業式でのガウンの有料レンタルを無料にする、とかあったけど、
ほんとに意味ない。卒業式行けなかったし。


・・・と、授業がない週が多く存在したり、
一学期の経験から容量を掴んだわたしは、
キレながらも、
せっせと学期半ばくらいから二つの課題論文の準備を開始していたのでした。


では、一体どんな「巻き返し」をしたのか。


取捨選択をする、ということを、まず学びました。(笑)

一学期のわたしは、
Pre-readingで提示された予習用論文をすべて一語一句読み、
授業準備を完璧にし、
授業後は、聞き逃したことはないかと授業の録画ビデオを観、
先生がおすすめした論文や文献に目を通し、
復習もしっかりやりました。

まさに毎日こんな状態

もちろん、ここまでやったことに意味がないとは言わないし、
これぐらい難なくこなせればいろんな学びになるのかもしれないけれど、
実際は、しんどいだけで、
授業内でもたいして予習したものが扱われることなく過ぎていった。(悲)

だから、もう、やらない♡ってなった。(爆)


いい成績を取るために大学院に来たわけではなくて、

むしろいろんな文献を読んで、自分が学びたかったことを
好きなだけ時間を使ってできる、というようなイメージでわたしはいたのだけれど、

学校生活が始まって、全然そんな風にいかないということに葛藤を抱き、

結局、この修士課程で優先的にやらなければいけないことはなんだ?
と考えた時に、課題を満足できるものにする、ということが目標になってしまいました。

別に、その選択が間違いだったとは思ってないけど!

大学の評価基準表
50-59点で合格ライン
60-69点で良
70-79点で優
80-100点で秀
(「秀」はどんなに優等生でもめったに取れません)

そういうわけで、「取捨選択」して、
授業で扱わなそうなところ、自分の興味や課題に関係なさそうなところは
サクッと終わらせ、
あとの時間は、課題のテーマを決定し、
それに必要な論文・文献をあたる時間にしました。


つぎに、論文を書く時に、細かく構成を決めることにしました。

これは、論文や文章を書き慣れている人にとっては
当たり前のことかもしれませんが、
わたしはそこすらわかっていなかったので、
ほんとに漠然とした構成しか一学期の時は決めておらず、
ある章はすごく長くなったり、
ある章では主張したかったことがうまくまとまらない、なんてことが起きていました。

なので二学期は、
まずは大まかな情報を得るために論文や文献を読み漁るけれども、
そのあとは各章の中でどういう論理展開をしていくかまで細かく考え決め、
それに沿って情報収集をしていくようにしました。

もちろん、欲しいと思っている情報が見つからないなど苦戦することもありましたが、
こうして構成立てしたら、ものすごく論文が書きやすくなりました!
自分の主張もブレなくなるので、とても良い。


内容に関しては、
一学期のシティズンシップ教育の論文で、
学問の世界って、
最もらしい人が最もらしく書いて、それをまた最もらしい人が最もらしく引用して、
最もらしい難しい言葉を使って書かれる書物の集まりか!?
って思ったこともあり、

反発心の塊のわたしは(何しに大学院や留学に来てるんだ)、
今回の論文も極力、
現実世界(学問的にではなく、実生活の中でどう活かせるか)を意識して、

Teaching and Learning Citizenship and Global Educationの課題で
「地域参加を通して、どのようにシティズンシップ教育を施すことができるか。
 まちづくり政策の可能性」
というタイトルにし、岡山県矢掛町の事例を元に書いていきました。

これは書いているわたしも楽しみながらできたし、
(実際に矢掛町の方に連絡も取ったら、快く資料も提供して下さいました!!!感謝。)
あとで成績発表でもらったフィードバックでも
先生から面白かったと言ってもらえました。


一方、Higher Education in the 21st Centuryの課題では、
授業内で、東・東南アジア圏 Confucian area(孔子の思想圏、転じて儒教圏)の
高等教育機関のことを学び、

the Post-Confucian model(新儒教圏モデル、と訳したらいいのかな?)としての
この圏内の高等教育機関の姿が面白かったので

「21世紀の高等教育機関は20世紀のものと異なるか?
 the Post-Confucian universityを例に。」と言ったようなタイトルにして書きました。


二学期での改善の甲斐あって、
一学期での屈辱を吹き飛ばすほど成績が跳ね上がり、
めでたし、めでたし、でした。(やればできるじゃーん、と調子に乗る。)


次回は、三学期と修士論文について書きます!
いつもとんでもなく長い記事を読んでくださり、ありがとうございますm(_ _)m

(構成立てることを記事では学ばないのである・・・)